AIを使い始めてから、仕事の質が変わった。
作業スピードが上がったのはもちろんだが、それ以上に驚いたのは、クライアントから原稿を褒められることが増えたことだ。「いい記事書いてくれてありがとう」「コンセプトがとてもよくまとまっています」「こちらの言いたいことがばっちり入っています」「市岡さんにお願いしてよかった」そんな声がこれまでよりも頻繁に届くようになった。
なぜそうなったのか。自分なりに考えてみると、二つの理由に行き着く。
一つは、AIを育ててきたことだ。これについては後の章で詳しく説明する。
もう一つは、思考に費やせる時間が増えたことだ。以前は原稿執筆そのものに相当な時間を割いていた。AIを使うことでドラフト作成までの時間が大幅に短縮され、その分を推敲や思考に充てられるようになった。そしてこの二つは無関係ではない。AIを育ててきたことでドラフト自体の完成度が上がっているから、推敲の質もおのずと高くなる。両方が重なって、アウトプットの質が底上げされていった。
AIは「道具」ではなく「育てるもの」
よく「AIを使えば誰でも文章が書ける」と言われる。確かにそのとおりで、指示を出せばそれなりの文章は出てくる。知識がなくても、それっぽいものはできる。
でも「それっぽいもの」と「成果の出るもの」は別物だ。
私がAIと仕事をする上で大切にしてきたのは、一つひとつの原稿を丁寧に仕上げるプロセスだ。AIが出してきたドラフトに対して、なぜそれが良くないのかを言葉にしながら修正を重ねる。「この文は前後のロジックがつながっていない」「この言葉の選び方は読み手に伝わらない」「この流れでは感情が動かない」——そういった指摘を、理由とセットで丁寧に伝えていく。
そして、最終的に完成した原稿を読み込ませ、最初のAI原稿(ドラフト)からどこがどう変わったかをAIに伝える。最初に出てきた原稿と、完成稿がどこまで変わったか。その差分を理解させることで、AIは私が求めるレベルを少しずつ把握していく。次に作るときの初稿の質が、確実に上がっていく。
これがAIを「育てる」ということだと思っている。
毎回ゼロから指示するのではなく、一度教えたことを次に活かす。AIに自分の知識と経験を蓄積させ、分身として育てていく。そうなれば人間がやるべきことは、最後の判断と微調整だけになる。差が出るのはプロンプトの上手さではない。AIを使い捨てるか、育てるか——その視点の違いだ。
自分の判断基準を、AIに移植する
もちろん、一度の会話が終わればAIの記憶はリセットされる。そこで活用しているのが、主要なAIツールが持つプロジェクト機能やメモリ機能だ。過去のやり取りで積み上げた指示や判断基準を蓄積しておくことで、次の会話でもその文脈を引き継げる。
例えば、私はAI導入後、校正・校閲用にあらかじめライター視点のチェック項目を細かく設定しておき、原稿を流し込むだけでAIがそのルールに沿って確認してくれる仕組みをかなり早い段階で作った。いわば、自分の判断基準をAIに移植するような作業だ。多くのAIツールにはこうした設定機能が備わっており、うまく活用すれば自分の判断基準をAIに蓄積させることができる。
ただし、このチェック機能が機能するかどうかも、結局は埋め込む側の知識に依存する。「チェックしてください」「間違いがないか調べてください」という指示だけでは、原稿の質を上げるレベルの確認はできない。何をどういう目線で見るのか——校正・校閲の観点、ファクトチェックの観点、構成として成立しているかの観点——それを言語化できるのは、ライターとしての経験がある人間だけだ。
前提知識がなければ、指示に深みが出ない
ただ、ここで一つ立ち止まって考えてほしい。これまで説明してきたプロセスは、誰でもできるのか。
答えはノーだ。
なぜ良くないのかを言語化するには、「良い状態」を知っていなければならない。チェック項目を設定するには、何をチェックすべきかを知っていなければならない。その前提となる知識がなければ、AIへの指示はどこまでいっても表面的なものにとどまる。
専門知識がある人間には、課題が見える
先日、あるリフォーム会社のLP(ランディングページ)の原稿を見せてもらう機会があった。チラシをベースにAIを使って作られたものだったが、読んだ瞬間に課題が見えた。
ターゲットの心の声が冒頭にない。CTAが「無料相談」の一択で、温度感の設計がない。「なぜこの会社か」という答えが、ページのどこにも明確に置かれていない。
これらの課題を整理してディレクターに伝える際、私が軸にしたのはPASONAの法則とジョン・ケープルズの原則だ。どちらもセールスコピーの世界では基本とされる考え方で、読み手の感情をどう動かすか、ヘッドラインで何を伝えるべきかを体系化したものだ。
こうした知識があるからこそ、パッと見ただけで「このLPの何が問題か」がわかる。AIに「このLPを評価して」と投げるだけでは、課題も見えないし、構造的に整理して、課題を指摘することもできないだろう。私の中にある知識と経験があって初めて、AIへの指示に深みが出る。
プロンプトは形式にすぎない
最近、AI活用術を教えるセミナーや講座が増えている。Xでも「このプロンプトを使えばAIが全知全能になる」「魔法のプロンプトでアウトプットが激変する」といった投稿が日々流れてくる。それ自体を否定するつもりはないが、プロンプトはあくまで指示の形式だ。形式をどれだけ磨いても、指示の中身の質は書く人間の知識に依存する。何を聞くべきか、どこが問題かがわからなければ、どんな型を使っても意味がない。
結局、その人が持つ経験値と資質が差を生む
同じAIツールを使い、同じ指示を与えても、人が変わればアウトプットのクオリティに差が出る。ライターの世界でも実感することだ。経験値の違うライターが同じプロンプトで原稿を書いても、出来上がりは明らかに違う。AIが均一な道具であるなら、差を生むのはそれを使う人間の経験値と、その人が持つ資質やセンスだ。
その経験値の中身とは何か。それは、ジャンルごとに積み上げてきたセオリーや必勝パターンの知識である。
例えばライティングの世界であれば、LPには感情の流れを設計するセオリーがある。コピーライティングには、反応を取るための必勝パターンがある。取材記事には、読み手を引き込む構成の型がある。SEO記事には、検索意図に応える書き方がある。校正・校閲には、何を疑い、何を確かめるかという職人的な目線がいる。
同じように、マーケターならマーケターの世界に、デザイナーならデザイナーの世界に、AIを使う前にそれぞれ体得しておくべきセオリーがあるはずだ。
そういった専門スキルや知識を持たないまま「AIの使い方」だけ学んでも、質の高いアウトプットは生まれない。AIはあくまで、指示を出す人間の知識を増幅する道具だ。増幅する元がなければ、増幅のしようがない。
プロと素人の差は、AIの操作スキルにあるのではない。AIに何を教え込めるか、AIの出力に何を感じ取れるか——その土台にある知識と経験の差にある。
この点については以前の記事「『AIを使えば誰でも名文が書ける』という大いなる勘違い」でも触れているので、あわせて読んでもらえると理解が深まると思う。
道具が変わっても、問われるのは人間の側だ
AIは、私たちの仕事を大きく変えた。でも変わっていないことがある。
成果を出せるかどうかは、最終的には人間の側にかかっている。
どれだけ優れた道具を持っていても、それを使いこなす知識と判断力がなければ意味がない。AIも同じで、使い手の専門性がそのままアウトプットの質に出る。
AIを育てるということは、自分の知識をAIに注ぎ込んでいくことだ。それができるのは、その知識を持っている人間だけだ。そしてその知識は、年単位で積み上げてきた経験の上にある。AIがどれだけ進化しても、その土台は人間にしか作れない。
