「三方よし」という言葉をご存知でしょうか。これは近江商人の経営哲学として知られる「売り手よし、買い手よし、世間よし」という考え方。今回は、ある取材先で出会った「三方よし」の姿と、そこから見えてきた私たちの仕事のあり方についてお伝えします。
日本を代表する企業も重んじる「三方よし」の考え方
「三方よし」とは、もともと江戸時代から活躍した「近江商人」たちの経営哲学です。彼らは全国各地を行商して歩く中で、自分たち(売り手)だけが儲かればいいとは考えませんでした。見知らぬ土地で長く商売を続けるためには、目の前のお客さん(買い手)に喜んでもらうだけでなく、その地域社会(世間)にも貢献し、信頼されることが必要だったからです。
この「売り手よし、買い手よし、世間よし」という考え方は、時代を超えて多くの日本企業に受け継がれています。例えば、総合商社の伊藤忠商事は企業理念の根幹にこの「三方よし」を掲げています。また、パナソニックの創業者、「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助氏が提唱した「企業は社会の公器である」という言葉も、この理念に通じるものです。自社の発展が社会の発展に繋がるという考え方は、規模の大小を問わず、あらゆるビジネスに通じるものだと言えます。
昨年秋、この言葉を思い出すきっかけになった印象深い取材がありました。
取材先での眩しい笑顔と、心に残った言葉
福岡県の、ある急成長を遂げている企業を取材させていただいた時のことです。そこは社長や専務から、事務職員、現場のスタッフに至るまで、とにかく皆さんのはつらつとした笑顔が印象的な会社でした。一人ひとりが自分の仕事に誇りを持ち、同じビジョンを見つめている。それでいて、決して奢ることなく、「いろんな方の支えがあってここまで来れた」と、どこまでも謙虚なのです。
お話を伺うと、かつては業界全体の需要低下や顧客の高齢化に悩み、「今の延長線上に未来はない」と強い危機感を抱いていた時期もあったそうです。そんな中、「一生懸命に働く若い従業員たちが、長く安心して活躍できる環境を作りたい」と一念発起し、経営改革に乗り出しました。
その取材のなかで、専務が少し言葉を探すように、こう語ってくれました。
「会社として利益を上げる、お客様に喜んでいただく。それはもちろん大前提としてあります。でも、それだけじゃ駄目なんですよね。……じゃあ、何のためにこの事業をやっているのか。そう考えた時に、やっぱりここで働く社員自身が幸せであってほしいし、それが巡り巡って、この地域社会の豊かさに繋がっていくような……そういう良い循環を作れないかと。正直、まだまだ手探りの部分も多いんです。でも、それを作っていくことこそが、私たちの本当の役割なんじゃないかって、そう信じて進んでいるんです」
「お客様が喜び、従業員はやりがいを持って働き、会社は利益を生む。どれか一つでも欠けてはダメ」。そんな明確な方向を見据えながらも、迷い、模索しながら真摯に進もうとする姿。
実はこの企業、求人を出すと「どうしてもここで働きたい」と予想を遥かに超える若い世代からの応募があるのだそうです。中には「客としてお店を訪れて、ここで働きたいと思った」という方までいるほど。自社の利益だけではなく、働く社員の幸せや地域の豊かさを本気で考え、実践してきたからこそ、自然と人が集まってくる。これこそが、理念の追求から生まれた素晴らしい副産物なのだと思います。
「自分はどうだろう?」とふと立ち止まった瞬間
私自身は、いちライター、いち編集者として現場を駆け回っていた頃から、クライアントや読者のことを考え、誠実に取り組んできたつもりです。そして、編集プロダクションとして活動の幅が広がるにつれ、今度はお仕事をお願いする外部のライターやデザイナー、カメラマンといったクリエイター陣の「働く環境」についても、意識が向くようになっていました。
適正な報酬をお渡しできているか、その人の持ち味に合ったお仕事を依頼できているか、スムーズなやり取りができる仕組みは整っているか。考えることは少なくありません。
そんな折、この会社と出会い、「じゃあ、私自身の足元はどうだろうか」と、ふと自分の仕事のあり方を振り返る良いきっかけになったのです。すっと視界がひらけたような感覚でした。
クライアント、クリエイター、そして読者への「よし」
私にとっての「買い手」とは、エンドクライアントや制作会社の皆様です。「魅力をどう伝えればいいか」「読者とどう繋がるか」という悩みに寄り添い、期待を超えるコンテンツを届ける。単にきれいな文章を書くのではなく、企画の意図を汲み、進行の負担を減らすこと。それはビジネスパートナーとしての最低限の責任であり、やりがいでもあります。
そして「売り手」。それは私自身であり、共にコンテンツを作り上げるライターやカメラマンたちです。あの福岡の企業がそうであったように、本当に心を打つ仕事は、作り手自身の充実感からしか生まれません。関わってくれるクリエイターがやりがいを感じ、「自分がこれを手掛けたんだ」と胸を張れること。笑顔で成長していける環境を作ること。これが今のiworksにとって、とても大切なテーマになっています。
最後に「世間」は、私たちのコンテンツを受け取る読者であり、社会です。情報が濁流のように溢れる今だからこそ、正確で、信頼できて、なおかつ血の通った情報を届ける責任があります。誰かの悩みを解決したり、心を動かしたり、行動を促したり。明日を少しだけ前向きに生きるきっかけになるような記事、日常に確かな価値を届けることこそが、私が果たすべき役割だと信じています。
三者をつなぐ架け橋として
クライアント、クリエイター、そして読者。編集という仕事は、この三者を繋ぐハブのようなもの。どこか一つでも我慢を強いたり、無理をしたり、妥協したりすれば、本当に良いものは生まれません。
「クライアントの課題を解決し、クリエイターが誇りを持ち、読者の人生を豊かにする」
言葉にすれば簡単ですが、それを完璧に実現するのは決してたやすいことではないでしょう。あの日の取材先の方々のように、私もまた手探りで進みながら、関わるすべての人が笑顔になれるような「良い循環」を作っていきたい。そうやって、一つひとつのコンテンツと軽やかに、でも誠実に向き合っていきたいと思っています。
